その前。つまり。頭の中。
頭の中は常に無段階。
どこからどこという境界がはっきりしないもの。
生き物のサガと言いますか、そこは如何ともしがたい現実です。
でも、ひとは考える。
考えて、言葉にする。
曖昧が本質な思考を、言葉にすることで固定化する。
思考するときに言葉を使うから、言葉と思考はイコールなようで、実はそうではない。
泣いたり、笑ったり、囁いたり、怒鳴ったり。
手を振り回したり、うろうろしたり。
言葉が通じなくても、怒っているのか、楽しんでいるのか、悲しんでいるのか、喜んでいるのか、大体わかる。
何か自己表現を言葉だけでするというのは、実は、ものすごく機能制限された状態だってことです。
みんなへたくそで当然。
ツイートするときは人格変わる人はいっぱいいる。
ただでさえ表現手段を制限されているうえに、言葉にも重大な欠陥がある。
それは、言葉の定義。
言葉の定義は辞書を見ればハッキリする。
するけど、でも、意味は一つだけじゃないことがある。
たとえば「意味」
い‐み【意味】
[名](スル)
- 言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。
- ある表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容。また、表現・行為がある内容を示すこと。
- 価値。重要性。
内容ととるのと、重要性ととるのではだいぶん話が違ってくる。
意味がないよ。
は、価値がないってことなのか、内容がないってことなのか。
これはもともと曖昧な人の感情が言葉の源泉なので、ゆらぎがあって当然で、時代とともに変わっても行く。
そう。
だから結局言葉って、超曖昧なんです。